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相場師

相場師の略歴はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にリンクしています。

本間 宗久 (ほんま そうきゅう、1724年 - 1803年)
23歳の時、酒田の豪農本間家の養子となる。大阪の米相場で才能を発揮。後に江戸に移り、ここでも成功し、「相場の神様」「出羽の天狗」と称される。その活躍ぶりは、『酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵米雨が降る。』『本間さまには及びもないが、せめてなりたや殿様に』といった唄が流行るほどであった。本間宗久は酒田五法を考案し、チャールズ・ダウと並んでテクニカル分析の先駆者の一人として名高い。(相場師の略歴

田中平八(たなかへいはち 1834年8月15日 - 1912年8月30日)
本姓は藤島。幼名は釜吉。名は政春。1865年(慶応元年)横浜で大和屋の後ろ盾を得て「糸屋平八商店」を開業。生糸・為替・洋銀・米相場で巨利を得た。通称「糸屋の平八」「天下の糸平」と呼ばれた。(相場師の略歴

山城屋 和助(やましろや わすけ、1836年 - 1872年)
本名は野村三千三。明治維新後に山城屋和助と名をかえ、新政府の軍政にたずさわるようになった山縣有朋の縁故で兵部省御用商人となり、横浜に店舗を構えた。長州人脈を活かし、軍需品納入の商売は繁盛した。明治5年(1872年)、彼は山縣ら長州系の官僚に陸軍省公金15万ドルを借り、生糸市場に手を出す・・・。(相場師の略歴

渋沢 成一郎(しぶさわ せいいちろう、1838年7月30日 - 1912年8月30日)
明治以降は渋沢喜作と改名。武蔵(むさし)国榛沢(はんざわ)郡血洗島(ちあらいじま)(埼玉県深谷(ふかや)市)に生まれる。従弟(いとこ)の渋沢栄一らと攘夷(じょうい)運動を企てたが、のち一橋(ひとつばし)家に仕官、鳥羽(とば)・伏見(ふしみ)の戦いに従軍後、彰義隊(しょうぎたい)を結成し頭取となったが、副頭取の天野八郎と対立したため脱隊。深川正米市場を設立して頭取となり、明治29年に東京商品取引所の第二代理事長に就任した。(相場師の略歴

渋沢 栄一(しぶさわ えいいち、1840年3月16日 - 1931年11月11日)
幼名は市三郎。のちに、栄一郎、篤太夫、篤太郎。渋沢成一郎は従兄。69年(明治2)新政府の招きで大蔵省官吏に登用され、井上馨(かおる)大蔵大輔(おおくらたゆう)のもとで、重要な貨幣、金融、財政制度の制定と改革に参与した。73年退官、同時に第一国立銀行(第一銀行の前身。のち第一勧業銀行を経てみずほ銀行、みずほコーポレート銀行に統合・再編された)を創立して頭取に就任。1915年(大正4)渋沢同族株式会社を設立し、第一銀行を中核とする渋沢財閥を形成した。(相場師の略歴

安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、1838年11月25日 - 1921年9月28日)
幼名は岩次郎。青年期に江戸に出て、両替商に奉公したのち独立し、1866年(慶応2)日本橋小舟町に安田商店を開業した。1876年(明治9)に第三国立銀行を設立し、80年には安田商店を安田銀行(のちの富士銀行。現みずほ銀行、みずほコーポレート銀行)に改組した。創立期の日銀の理事となり、松方正義の信用をかちとり、不安定だった多数の銀行を買収するかたわら、生命保険、損害保険会社を興し、金融中心の安田財閥を築いた。JR鶴見線の駅名「安善」は安田善次郎の業績の証。(相場師の略歴

浅野 総一郎(あさの そういちろう、1848年4月13日 - 1930年11月9日)
幼名は泰治郎。少年時代より商才にたけ各種の商業を営んだが失敗し、1871年(明治4)東京へ出奔。薪炭、石炭などの商売から渋沢栄一の知遇を得るなど、後日の発展の糸口をつかんだ。84年渋沢の助力により官営深川セメント工場の払下げに成功し、以後、革新的な努力を傾注して浅野セメント(後の日本セメント、現太平洋セメント)を国内随一のセメント・メーカーに発展させた。また、安田善次郎(安田財閥の創設者)から多くの資金援助を受けており、両者の関係については「浅野はエンジンで、安田は石炭」などとも例えられた。JR鶴見線の「安善駅」の隣に「浅野駅」がある。
相場師の略歴

今村 清之助(いまむら せいのすけ、1849年 - 1902年9月26日)
父、吉右衛門(二男)。父の代に困窮生活をしいられ、何度も商売に失敗したが、横浜で相場の世界で財をなした。角丸証券・今村銀行の創立者でもあり、明治3年(1870)横浜に両替店を開き、のち堺町に太物綿類を商い、両替・株式仲介を兼ねた。ドル相場では「天下の糸平」と手を組み大相場を張る。明治11年(1878)東京株式取引所の設立に尽力。日清戦争から日露戦争にかけて展開された産業革命期に鉄道事業で巨万の富を得た。友人には、渋沢栄一、福地源一郎、大倉喜八郎、安田善次郎、益田孝、根津嘉一郎、岩崎彌之助、本山彦一、馬越恭平、阿部彦太郎等の財界人がいた。(相場師の略歴

野村 徳七(のむら とくしち、初代1850年4月15日 - 1907年9月30日、その長男で野村財閥を築いた二代目1878年8月7日
- 1945年1月15日)
初代の幼名は徳松。11歳から大阪屋弥兵衛の大弥両替店に丁稚奉公する。両替商「野村商店」が明治5年2月、百円の資本で誕生し、野村財閥の事業の出発点となった。

二代目は野村信之助。野村商店(後の大阪屋証券、現コスモ証券)は公債や株式を扱うようになり1907年(明治40年)、初代徳七の隠居に伴い信之助が徳七を襲名し弟の実三郎、元五郎らと野村商店を運営した。1918年(大正7年)に大阪野村銀行(後の大和銀行、現在のりそな銀行)を設立、証券部は1925年(大正14年)12月に野村證券として独立し翌年1月に営業を開始した。(相場師の略歴

小池 国三(こいけ くにぞう、1866年 - 1925年)
山梨県甲府の商家の五男に生まれ、小学校卒業後、同郷の豪商若尾逸平(いっぺい)のもとに奉公して商売や相場の勘どころを学んだ。1895年(明治28)株式仲買人を志して上京、97年に小池国三商店を開き、1907年(明治40)には小池合資会社に改め、有価証券の売買や公社債の応募、信託業などを営む。鞘取屋として名をはせた。山一證券である。屋号は若尾の屋号をもじって付けられた。(相場師の略歴

福澤 桃介(ふくざわ ももすけ、1868年6月25日 - 1938年2月15日)
武蔵国横見郡荒子村(現在の埼玉県吉見町)の農家に生まれ、川越で育った。肺結核にかかり、1894年から療養生活を送らざるを得なくなる。療養の間、株取引で蓄えた財産を元手に株式投資にのめり込む。当時は日清戦争の最中で、日本の勝利による株価の高騰もあり、当時の金額で10万円(現在の20億円前後)もの巨額の利益を上げたという。療養により病状が好転し、株で得た金を元手に実業界に進出する。(相場師の略歴

藤原 銀次郎(ふじわら ぎんじろう、1869年7月25日 - 1960年3月17日)
長野県上水内郡安茂里村(現在の長野市)に藤原茂兵衛の三男として生まれる。父茂兵衛は農業の傍ら藍問屋を営み安茂里村一番の財産家といわれた。明治18年医者になることを条件に上京したが、医学の道には進まず明治22年(1889年)慶應義塾を卒業する。明治28年(1895年)同郷で慶應義塾の先輩に当たる鈴木梅四郎に勧められて三井銀行に入社する。戦前の三井財閥の中心人物の一人で王子製紙社長を務め「製紙王」といわれた。(相場師の略歴

松井 房吉(まつい ふさきち、1871年 - 1950年6月24日)
松井商店(松井証券)の創業者。日本橋蛎殻町で丸三商店(現丸三証券)創業者の一人である川北徳三郎のもとで相場を修業し、川北とともに日本橋兜町に進出する。兜町では「売りの房吉」と恐れられ、第一次世界大戦後の1920年3月15日の株価大暴落で、兜町でただ一人大儲けをし、巨万の富を築く。松井商店を創業する以前、房吉は
5人の仲間と匿名組合を設立し、株のブローカー業務を行っていた。その時6人で匿名組合を経営していたのと、六が末広がりで縁起がいいことから屋号を「マルロク」とした。(相場師の略歴

鈴木 久五郎(すずき きゅうごろう、1877年 - 1943年8月16日)
明治後期から大正期にかけての株式相場師。現在何某成金と人々が言い始めたのは鈴木久五郎の破天荒な虚業(株相場)の大儲けが所以だった。通称「鈴久」。埼玉県北葛飾郡八丁目村(現在の埼玉県春日部市八丁目)に鈴木久五郎は酒造業6代目鈴木兵右衛門の次男として生まれた。1906年(明治39年)日露戦争特需の大相場で大当たりを演じ、彼の資産は現在の貨幣価値で500億とも1000億に達したとも噂され、明治40年の正月は鈴久のために来たと謳われた程であった。(相場師の略歴

山崎 種二(やまざき たねじ、1893年12月8日 - 1983年8月10日)
山種証券(現SMBCフレンド証券)、株式会社ヤマタネの創業者であり、1920年代から米相場に手を染め始め、石井定七や伊藤ハンニを向こうに回して米相場と株式相場において成功を収める。横山大観より「金もうけされるのも結構だが、この辺で世の中のためになるようなこともやっておいたらどうですか」と言われたことが契機となって、1966年に近・現代日本画専門の山種美術館を設立。(相場師の略歴

是川銀蔵(これかわ ぎんぞう、 1897年7月28日 - 1992年9月12日)
兵庫県赤穂市の貧しい漁師の七人兄弟の末っ子として生まれる。1923年に関東大震災の一報を受けて「バラックが山ほど建つ」とひらめき、トタン板を買占め巨利を得た。しかしその後の金融恐慌の時、預金している銀行が破綻し、借金している銀行が生き残るという不運と恐慌の煽りで倒産。世界情勢・資理論を独学し、株式相場に湧く堂島へ降り立った。1933年に大阪堂島で「昭和経済研究所」(後の是川経済研究所)を設立。1981年9月に金属鉱業事業団(現独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が鹿児島県の菱刈鉱山で金鉱脈を発見したと発表。住友金属鉱山株の買い占めを行う。1983年に発表された高額納税者番付では申告額28億9090万円で全国1位となった。これにより「最後の相場師」として話題を呼んだ。(相場師の略歴


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